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パガニーニ:24のカプリス 作品1 実演集(10/07/27)

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  WMA
2010/05/19 24caprices1_4_5_24.wma (モノラル)
2010/07/17 24caprices4_6_24.wma
2010/07/27 24caprices6.wma (モノラル)
前回の更新(**/**/**)との差異

解説と称した言い訳集とでも申しましょうか

実演集と称した失敗集とでも申しましょうか。(10/05/19)はフルートパーティ(フルパ)初回にて。止めた方がいいと言われながらもおし通して暗譜で演奏しました(第1曲を除く)。かなりがんばったのですが、出来は非常に芳しくありませんでした。(10/07/17)は、ムラマツ・リサイタルホール新大阪で開かれたVoice of Flute 2010にて。 フルパで大失敗したのを取り返すべく第4曲を再選曲したプログラムなのですが、前日にやむを得ず30分程度音を出したのを除いてはそれまで全く練習することができず、一月以上前に練習したきりの状態で臨むことになってしまいました。
余談ですが、そんな練習できなさの中で6月末に行われた第2回フルパでアンサンブルをするという本番の日に、後輩から「もっと明るい音で吹いてください」と言われて「ごめん、僕は今日吹けない。これで。」と即答するしかなかった自分が情けなかった。
しかしそのように普段の吹きが全く足りていないのに、ホールの録音がいいせいか、よっぽど自録りの(10/05/19)よりもまともに聞こえます。同様にその後の(10/07/27)の第3回フルパでは、実際にそれまで本当に練習が絶えていることがはっきり感じられるくらい、同じ曲を同じ人物が演奏してもここまで違うんだなというのがよくわかります(出来の点で)。Voice of Flute 2010のものが、この中では一番まとも。もったいないところがあって残念。
この24のカプリスを聴いて、「難しい曲をさらってますね」と思われるならば大失敗。「楽しい!」と思ってもらえるまでになりたいと思っています。この実演集はそれに遠く及ばない、まさに大失敗録音なのではありますが、そのような録音をここに載せるのには目的があるからで、同じ曲でも違う回の録音とあわせて聴くと、曲の立体感をつくることができるかもしれないからです。何人もの違う人の演奏を聴くことは可能でしょうが、同じ人の別ステージでの演奏を聴いたならば、「ここがこの人らしいな(いい意味/良くない意味/その両方 で)」というのがみえてきたり、曖昧だったことを補完されたり勘違いに気付かされたり、また毎回同じところで違和感を覚えて「この人はこんな風に表現したいのかという残念さ/この人は本当にこんな風に表現したかったのかという疑問」を感じてみたり。やりなおしのきかない演奏会と気が済むまでやりなおせる録音の、中間地点の自由さ提供するセルフサービスのようなもの……?いやはやなんとも皆さまに対して失礼な話でございましょう……。第一、(10/05/19)を除いては練習時間がほぼゼロの期間の録音を挙げてそのような説を講じようとも説得力は明らかに……無いのですけれども。
もう一つ、「楽しい!」と思ってもらえればそれが一番なのですけれど、もともとのヴァイオリンだとどんな演奏なのかに関心が生まれるとそれも嬉しいことです。アレンジとしてのフルートバージョンではなく、ヴァイオリンの《代わりに》フルートで演奏する、ただそれだけのことです。巷では華やかな音楽が流行る中、演奏する立場としては西洋音楽の原型美を模索するのも面白い。というか、唐突に思われるでしょうが、オリジナルでフルートのための楽曲では自分の表現ができてもオリジナルが他の楽器の曲だと途端に表現が適切にできている自信がなくなるのが一般的だと仮定すると、レパートリーという意味ではなく器という意味で「音楽(感)」を拡大するための課題として非オリジナルの楽曲に取り組むことは最初に思い浮かぶものなんじゃないかなと思います。この実演集は失敗そのものが多すぎて次のことの例にならないのですが、よく編曲物の演奏を聴いて滑稽に感じることってありませんか?編曲の失敗、好みの問題等もあるとは思いますが、演奏が不自然なことが最も目立ちます。音楽って、楽器によって違ってしまうものなんでしょうか?そうではない、と思います。その人がその楽器で取り組んできた楽曲傾向に影響されるのは明らかで、ヴァイオリンの人はやっぱりヴァイオリンらしい演奏だし、ピアノの人はやっぱりピアノらしい演奏だし、フルートの人はやっぱりフルートらしい演奏だなあとよく感じます。そういった複数の " -istic" を手に入れている人の音楽は、より真実に近く響く気がする。プロとして生きている人々はそんなこと言うまでもないレベルの力をもっていると思います。だから、ここに書いてはみたけれど、別に特別なことを指摘しているつもりではないし、そうして見直すと書いた意味は薄いなとも思うし、なんだか…すごく変。あ、知ってました?
(10/08/28)